《KKK通信》 〜温浴事業のなんでも情報発信〜
第1話 公衆浴場の歴史と変遷 |
第一幕 公衆浴場の始まり
一般大衆が湯に浸かって入浴する施設すなわち「公衆浴場」は、天正19年(1591年)に“伊勢与一”なる人物が、江戸の銭瓶橋都のほとりに永楽1銭で「湯屋」を開業したことから始まったと言われ、その後400年以上も続いています。
その永い永い公衆浴場の歴史の中でも、「町の銭湯」が増え始めた戦後から現代に至るまでの約60年の間に大きく変容していきます。
第二幕 銭湯の時代
終戦後、市民の生活衛生施設として都市部を中心に多くの銭湯が現れ出します。
都市部の一般庶民には家に風呂が無いのが当り前という時代ですから、銭湯は1970年代まで30年近くの間、盛況が続いていきます。
しかし、高度成長期に入り、可処分所得の増加とともに自家風呂普及率が高まりはじめ頃から、銭湯は徐々に衰退していきます。
テレビや冷蔵庫、クーラー、自家用車のように自家風呂のある家も庶民にとっては憧れであり、所得の増加はすなわち「自家風呂のある家に住む」に繋がっていったのは必然なことでした。
第三幕 健康ランドの登場
しかし、自家風呂の普及は庶民に新たなる贅沢と欲求を生み出します。
それまでは家で風呂に入ることが贅沢であったのが、お金を払ってお風呂に行くことが贅沢という真逆の欲求が生まれ始めたのです。
その「お金を払ってお風呂に入る贅沢」を生み出したのが「健康ランド」です。
健康ランドの第一号店は愛知県七宝町の「中部健康センター」(1984年開業)と言われています。
実は、1955年に開業した「船橋ヘルスセンター」という大衆娯楽浴場が健康ランドの祖と言われていますが、ボウリング場・スケート場・プール・遊園地など1万坪にもおよぶ巨大レジャー施設の一部であったことから、私自身は船橋ヘルスセンター(常磐ハワイアンセンターなども同じく)は公衆浴場ではないと考えています。
健康ランドは入浴料金2000円程度で、温泉旅行気分を味わえ、「身近で贅沢なひととき」を求める人々の心をうまく掴みます。
その後、演劇、プールなど、より高い付加価値を創造し、健康ランドは巨大レジャー化・投資拡大が進んでいきます。
そして、1990年代に入り、「バブルの崩壊」が起こります。
巨大化、投資拡大化した健康ランドは消費低迷を真正面に受け、売上・収益は激減し、多大な投資に事業が押しつぶされていくことになります。
第四幕 スーパー銭湯の登場
このような社会情勢を背景とし、「低価格」「低投資」「大量集客」を軸とした温浴事業として登場したのが「スーパー銭湯」です。
スーパー銭湯は、健康ランドから入浴以外の付加価値を低減することによって低投資化していく方向性と、町の銭湯が生き残りを賭け、自家風呂のある方にも利用してもらえるようレジャー的付加価値を加えていくという、二つの方向性から誕生したものです。
1990年代中頃から、スーパー銭湯は景気減退・消費低迷という社会環境に適応し、低価格で身近なファミリーレジャーとして大盛況ぶりを見せ、都市部を中心に加速度的に増えていきます。
バブル崩壊の影響を受けた企業の遊休地活用として、スーパー銭湯は企業の多角化戦略の手段となったことがさらに加速度を増す要因となります。
加速度的に増加し続けたスーパー銭湯は、2000年代中頃になると、都市部を中心に競合激化状態が進みます。
第五幕 スーパー銭湯のミニ健康ランド化
競争市場に参入してきた後発施設は既存施設を凌駕すべく付加価値の増大と施設の拡大を進め、「ミニ健康ランド」状態になっていきます。
そして、2007年のサブプライムローン問題、リーマンショックを始まりとして、戦後最大ともいえる大不況が後押しするように、先発小規模スーパー銭湯施設は後発の大型店の影響を受け、また重厚長大化した後発の大型スーパー銭湯も自らの投資に押しつぶされてしまうという現象が見られるようになります。
第六幕 未来へ向けて・・・
このように、スーパー銭湯業界を初めとして温浴業界全体が厳しい状況に置かれています。
この状況を招いた要因としては、ひとつには、マーケットを無視し、他店を凌駕する施設力を以って事業が成功していくという誤った事業計画、ひとつには、入浴施設としていかに利用者の支持を受けられるかではなく、利用者にどのようにしてお金を落とさせるかということにしか戦略を立てなかった事業戦略、そして最も大きな要因と考えられるのは、「湯を沸かし店を開ける」こと「値引きをして集客を増やす」ことしか考えてこなかった経営戦略の甘さです。
温浴事業は400年続く日本文化です。
日本人であれば、風呂に浸かる喜びは誰もが知っているものです。
温浴事業自体が廃れていっているのではありません。
現時代において、利用者=マーケットが「公衆浴場」に何を求めているのか、事業リスクがどこにあるのかをしっかりと見定めていけば、「湯屋」が「銭湯」→「健康ランド」→「スーパー銭湯」と変遷してきたように温浴事業は必ず続いていくものです。
新しい温浴文化の幕開けは自ら開いていくものです。